私の位置 元教員  引木 十三林

私の位置 元教員  引木 十三林

『氷点』の作品などで有名な三浦綾子が十代の頃、代用教員として勤めていた(『いしころの歌』)私の母校神威小学校は廃校になった。日野台の生徒の祖母も勤めていた。縁は奇妙。神威中学校も歌志内高校も廃校になった。大学も途中で名称が学芸大学から教育大学に変更。國學院は大学院からだから、外様大名のようなもの。私には仲間がいない。それ故、私の母なる学校は十七年間勤務した日野台高校に当然のようになってしまった。                    いつ頃から「ときわぎ会」に関わるようになったのか判然としない。在勤中からP.T.A.と縁があったので、その延長線上自然と「ときわぎ会」に参加するようになったのかもしれない。

車山スキー

 初めは「スキー」だった。「草津」だったか。『古事記』の勉強会を始めたのは、それから数年たった頃だが、現在十数年過ぎている。
 今回はこの『古事記』の活動を通して「ときわぎ会」を紹介してみる。今、『古事記』の会は『万葉集』を三回、『源氏物語』を三回、『古事記』を四回、年計十回開いている。古文を原文中心に内容を把握していく学習だが、『古事記』は教室の座学を飛び出して、各地へ足を運ぶ、行動的な勉強会になっている。始まりは私のちょっとした希望からだった。稲荷山古墳の鉄剣を見たいと呟いた時、すぐ反応した世話人の一人、山崎さんは、すぐバスツアーを計画した。埼玉・行田市にある稲荷山古墳見学だ。三百七十一年の銘のある鉄剣を目の当たりにした瞬間の感動はそれだけで終わらない。その時見た行田市の「忍城」は映画「のぼうの城」と繋がった。足袋工場の見学は「陸王」と繋がった。一つの事柄が他を誘発するように、行動の先に何かが連動し始めた。次の年は上野へ「大神社展」を見に行った。一人が言った。奈良で「古事記展」があるよ。早速計画されて奈良へ。京都へも行った。翌年の総会で、それぞれの担当課題を発表。奈良の三輪山・大神神社、京都松尾神社と秦氏等々、好奇心が発動されて調査し、文字化された。昔の学生時代の再現のような学問との対峙があった。この行動は更に好奇心を大にして、神話の原風景が息づいている出雲の地へ向かわせることになる。二台のレンタカーに乗って、『風土記』の世界にあるそのままの地名や神社名に感動しながら、『古事記』の勉強会が実地踏査の形でなされた。銅矛や銅剣・銅鐸の発掘現場を見、古代文化の交流に圧倒された。長野へ縄文土器見学のバスツアーもした。尖石遺跡で縄文のビーナスにも出逢った。

車山スキー

あちらこちらへ飛び回ろうとするエネルギーは「ときわぎ会」のどの行事にも共通する動きだ。私が主に参加する行事は『古事記』と「スキー」だが、その他にも時々「釣り」や「テニス」にも行く。時には「柚子の会」にも行き、「陣馬山・景信山」の餅つきにも行った。沢山の行事が学校のクラブのように待ち受けているので、都合のよい時に参加すれば良い。
私は人生の後半を「ときわぎ会」と共にあるように感じている。心身共に〈遊遊自適〉に存在出来る場所、それは私が活かされている場所「ときわぎ会」だ。皆様もお子様を卒業されたら、是非「ときわぎ会」に参加して、自分に合う行事で、心を遊ばして見たらいかがでしょうか。

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